<第2回同期会電脳上再現!>

ほぼ完全ノーカット版!

その2


<「先生方のご挨拶」>

(18:30 司会:櫻澤)
「それでは次のメニューに移ります。 前回と同様、数多くの先生にお越しいただいたわけでありますが、先生方から一言ずつご挨拶を賜りたいと思います。」



<この「一言ずつ」の挨拶が予定時間を大幅にオーバーして延々と続くことになる。 やっぱり、先生は先生、なつかしさも手伝って、教え子達に対する近況報告の話は長かった (実はそんな予感がしていたんだ)。最初の頃はマイクも不調で、会場内はかなり騒がしかった。>


(18:30 司会:櫻澤)
「それではまずクラス担任だった先生方からお願いします。最初は1組の担任の遠藤先生、お願いします。」



(18:30 遠藤先生)
3年1組 遠藤先生 「こんにちは。お誘いいただいて、本当に懐かしく思います。 私が府中高校に来て、皆さんに出会った頃は、まだ私もちょうど30歳になったばかりの頃でした。 そうしますと、皆さんは今の私の歳がわかるわけですが、府中高校を出まして、それから3校ほど学校を経験しまして 、5年前に定年になりまして、それから嘱託というかたちで仕事を続けていたのですが、それもこの3月で終わりになります。 その後はということになりますと、実は、数年前から横浜の方で20人ぐらいのグループで、86歳のプロのお百姓さんからプロの農業を教わっています。 これが大変面白くて、やめられません。3月に退職したら、そちらの方にのめりこもうと思っています。 そんなところで、カラ元気ですけれど、一応、元気にしております。 本当に今日はお招きいただき、ありがとうございました。」 <拍手>


(18:32 司会:櫻澤)
「ありがとうございました。それでは2組担任の野村先生、お願いいたします。」



(18:33 野村先生)
3年2組 野村先生 「え〜、今日は本当に幹事の人たちが頑張ってくれて、ありがとうございました。 実はあの小沢先生の本を大量に保管していて、それが私の書庫をふさいでいたのですが、わたしがそれだけ小沢君の本をたくさん持っていたのは…。 小沢先生が『破魂』を出される時、実は私は彼が小説を書いているなんてぜんぜん知らなかった。 それで昭和53年の春でしたか、彼が高校からの帰り道に"いやぁ、今度、本を出そうと思っているんだ"と言うもんで、"ああそうか"と返事をし、 "どんな本だ"と聞いたら"小説みたいなやつだ"と言うのでびっくりした。てっきり世界史の本だと思っていたんだ。 彼が小説を書いているなんて、夢にも思わなかった。でも、生前の彼の話の面白さから考えれば、彼が小説を書いてもちっともおかしくないと思った。 …ちょっと話をやめて、こっちの話を聞いてくれないかなぁ…。 <しばし中断> おそらくその時、小沢さんが小説を書いているなんてことを知っている教員は、高校の中には誰もいなかった。 それで彼に"何部出したらいいんだ"と聞いたら…、彼はいろんな出版社にあたったみたいなのだが、うまくいかなくて、結局、自費出版ですよね。 で、自費出版するなら部数が大いに問題になるんですが…、"小説ならば1000部ぐらいか"なんて言っていたんです。 そしたら、あの本の奥付を見てもらえればわかるんですが、僕が発行責任者にさせられちゃったんです。 彼がそれだけの本を保管するところがないというもんで、それじゃあ、僕の家で保管しようということになったんです。 それで結局、非常にたくさんの在庫を抱えることになったのです。 で、幹事の人に家に来てもらって、ある程度引き取ってもらって、今日、会場で配布することになったんです。よろしく。」 <拍手>

(18:38 司会:櫻澤)
「え〜、実は会場の構造上の問題から、後ろの方に音声が届きにくいことがわかりました。 皆さん、静かに聞いてください。よろしくお願いいたします。野村先生、大変失礼いたしました。」
<ひとつのホールと二つの会議室をぶち抜いて会場設定をしていたため、後ろ半分にスピーカー施設がなく、 そのため音声の通りが悪がった。ここで別のマイクと交換して、状況がある程度改善。遠藤先生・野村先生に深くお詫び申し上げます。>

■ 3年進学当初2組の担任だった高木重俊先生はご多忙のためご欠席でした。
元3年2組 高木先生 「ご案内ありがとうございました。
前回の写真を同封してくださいましたので、
ひとしきり思い出にひたったことでした。
この時期、論文審査等で超多忙です。
盛会を祈ります。」


(18:40 司会:櫻澤)
「それでは3組担任の筒井先生、お願いいたします。」



(18:40 筒井先生)
3年3組 筒井先生 「え〜、筒井です。こんばんは。あのぅ、先生方の中では、私が一番若い。皆さん方と10歳しか違わない。 当然、去年の3月に定年退職したばかりです。今は調布の味の素スタジアムの中にある高体連、東京都高等学校体育連盟で事務として、 週に3日は働いています。ただねぇ、非常に幸せだったのは、37年間教員生活してきて、一度も仕事をしたなぁという覚えがないんですね。 <爆笑>
 ずっと、僕の気持ちの中では遊んでいた。だからみんなと必死に相撲をとっても、負けてなるもんかと思ってたもんで、 負けたことはなかったですね。生徒たち40人並べてふたまわりやって、一度も負けなかったですから。で、それがですねぇ、 嘱託となって、仕事するようになったら、急に体の調子がおかしくなりました。<爆笑>
 今日、診断がついたんですが、 リウマチ性続発筋痛症ということで、全身が四十肩状態。今は少しはいいんですが、毎日着替えに30分ほどかかっていました。 お風呂もトイレも大変でして…、手や肩もここまでは上がるんですが…。<ジェスチャー付き>
 え〜、そういう状態で、今はやっています。 よくなりましたら、今年の目標は八ヶ岳に登ることを考えています。縦走しようと思っています。 色紙に書かせてもらったんですが、私のモットーは"軽く、楽しく、一心に!"、なんでも一所懸命やりますが、楽しくなくちゃ、しょうがないですし、 重々しくなく、軽く過ごして生きたいと考えています。今は碁や写真もやっています。といったわけで、元気でやっていきたいなぁと思っています。 よろしく。ありがとう。」 <拍手>


■ 4組の担任だった小沢郁郎先生は昭和59年(1984年)8月20日に逝去されました。
3年4組 小沢先生 今回の同期会では、小沢先生と親交の深かった野村乙二朗先生のご厚意により、
小沢先生の著書や追悼文集の残部を希望者に無料配布いたしました。
改めてご冥福をお祈りします。


配布された小沢先生の書籍


(18:43 司会:櫻澤)
「筒井先生ありがとうございました。それでは5組の横山先生、お願いします。」



(18:43 横山先生)
3年5組 横山先生 「え〜、こんにちは、横山正治です。皆さんに会うのは30数年ぶりですね。 おかげさまで今日は12期の皆さんにお招きいただき、長生きしてよかったと思っています。 この席に小沢さんがいれば…と思うと、少し残念に思います。幸いにして皆さんにお会いすることができました。 今後皆さんと何回お会いできるか、何年生きられるかはわかりませんが、その機会が多くなればと祈っています。 しかし、長生きすることがいいことかというと、これは別の問題ですよね。長生きしたために、最近は見たくないことを見続けている感じがします。 皆さんはどう思うかわからないが、このままだと日本は危ないんじゃないかと思う。日本どころか世界が、地球が危ないんじゃないかと…。 そういう瞬間が生ずるようになっているんですね。だから今は転換期じゃないかと、そういうものを最後まで見続けていいのかという問題もあるんですね。 だから、人間は適当な時期に死ななきゃいけないんじゃないかと、それが今の私の問題意識なんです。 まぁ、死ぬまでは、人生は旅だといわれているので、せっせと旅をしたいと思います。 旅といえば…、…時間の制限があるので、あまり長くはしゃべれないのですが…、ここ2年ほど、芭蕉の奥の細道を辿る旅というのを友人と二人で画策しまして、 白河の関を越えてから、最後の大垣に至るまで、2年間で歩きました。ちょうど去年の12月に終わったところなんですけど、 そこをず〜と歩いていて、やっぱり日本は危ないと思いました。芭蕉さんはご存知だろうと思うんですが、いろいろと峠を越えています。 で、少なくとも有名な峠が三つぐらいあります。ひとつは陸奥から出羽へ越えていく山刀伐峠というのを越えているんです。 もうひとつが、これも有名な倶梨伽羅峠というのを越えています。そしてもうひとつが今庄から敦賀に抜ける木の芽峠というのを越えています。 この三つを私も走破しました。そこを歩いてみまして芭蕉さんが歩いた400年前と今とでは、やっぱり違っちゃったなあという感慨をいがめないんですね。 山刀伐峠の所はですねぇ、トンネルができてしまいまして、人々は峠じゃなくてトンネルを抜けていくんです。 ところが芭蕉さんはといえば“高山森々として、夜る行がごとし”と言っていて、ブナの原生林が一面に残っていたんですね。 それが今はないんです。せいぜいブナの遊歩道になっちゃった。これが400 年後の日本です。それから倶梨伽羅峠を越えるとですねぇ、いまはそこは遊歩道になっていて、ヒメオドリコ草が一面に生えている。 これはオランダ渡りの帰化植物です。芭蕉の時代にはなかったんです。 て、植物の好きの人はご存知の通り、茶色と黄みどりの混じった気味の悪い花でして、それが強くて群落をつくっている。 そういう状態なんです。…あっ、ハイ、もうすぐ終わります…。それから木の芽峠は、今はスキー場になっちゃってる。 そういう状況です。この400年というのは産業革命以降、ある意味で人間が地球を我が物顔に食べちゃった時代。 我々日本人もそれをやっちゃった。そういうひずみが今あるんだと思うんです。それが日本の危機やいろんな事件の背景だと思うんです。 変な話で恐縮ですが、今そんなことに関心を持っています。どうもありがとうございます。」 <拍手>


(18:49 司会:櫻澤)
「ありがとうございました。司会進行担当幹事、だんだん冷や汗をかいてきました。 かなり押せ押せのスケジュールになりそうです。それでは6組の鈴木先生、お願いします。」



(18:49 鈴木先生)
3年6組 鈴木先生 「長年の習性で、高いところにあがるとお説教したくなるのが教員の性なんです。 みなさんと久しぶりに会っても、やっぱり年齢の差は縮まらないもんで、私は今、75歳になりました。 75年生きてきて、皆さんにやっぱりこれだけは言っておきたいと思うことは…、今は大いに働け働けで、働いてください。 そして定年になったら、大いに遊んでください。ただ、遊ぶのもいいんだけれど、先々に楽しみを取っておこうと思うと、だんだん体が動かなくなります。 ですからねぇ、遊ぶのもせいぜい70どまりなんです。ですから、それまでの間に人生の計画をすべて立てて、 それから先は有賀先生みたいに悠々自適の生活をするように、そんなことを考えたほうがいいですよ。 まぁ、久しぶりに会って、私も久しぶりにお説教ができて、うれしく思います。どうもありがとう。」 <拍手>


(18:52 司会:櫻澤)
「ありがとうございました。7組担任の中田先生、お願いします」



(18:52 中田先生)
3年7組 中田先生 「中田です。押せ押せということですので、具体的なことをひとつと一般的なことをひとつ言います。 具体的なことは、僕は君たちが2年の時、昭和46年に府中高校に来ました。幸い、小沢先生に気に入ってもらいました。 私がその時に小沢先生のすごさを感じたのは、2年の時の遠足の時、筒井先生がバイクで遅れてきて、 バスに乗せてもらえずに出発しそうになったということをよく覚えています。<爆笑>
 あれは小沢さんが"行っちゃえ!"って言ったすごさでした。 それからふたつ目、一般的なことは、府中高校はぼくもその後、いろんな所をずっと見てきたんですが、実にいい学校でした。 <拍手>
 どういうふうにいい学校だったかというと、いい教員がけっこういたんです。 <爆笑>
 それは当時の校長の嘉部先生がいい先生をいっぱい集めて、府中高校はその人事でかなりもっていた。 学校っていうのは、へんな言い方だが、どこ行ってもそうですけれど、雰囲気です。雰囲気って、あの時、いい雰囲気、リベラルな空気があそこにあって、いい学校だなぁと思っていた。 僕はその前にいた都立高校が廃校になってしまって、府中高校に58年まで12年間居させてもらったんですけれど、 皆さんの時もそうだったけれど、次に担任を持った学年もいいムードで、これが府中高校のよさだなぁって感じているんです。 こういう学校がもっと残っていればいいなあと、思っているんです。こんなことを皆さんの顔を見て思いました。 また同期会がもっと発展することを祈って、話を終わります。」 <拍手>


■ 8組の担任だった岡ア當雄先生は闘病中のためご欠席でした。
3年8組 岡崎先生 「病床にて出席できません。
皆様によろしく御伝言下さいませ。」


(18:53 司会:櫻澤)
「ありがとうございました。それでは担任はお持ちではなかったのですが、 さまざまな科目でお世話になった先生方にお願いします。最初に英語の久田先生。」



(18:53 久田先生)
英語(ハンドホール?) 久田先生 「え〜、皆さん、こんばんは。ハンドホールの久田です。<爆笑>
 え〜、昨日ですかねぇ、速達が届きまして、甲田設計事務所とか書いてあるんで、てっきり勘違いしましてねぇ、 耐震強化の詐欺かなんかじゃないかと思ったんです。<爆笑>
 封筒を開けてみてわかりました。 最近はホリエモンだのやれ姉歯だのと、いやな事件ばかりありまして…。 私は幸いにも府中市に住んでおりまして、月に1回ぐらいは府中高校に行って、かわいい部員たちと接して、若返っております。 女子はいいんですが、男子のほうは顧問の行き過ぎがありまして、退部者が続出して、新入部員待ちのピンチに陥っています。 ま、しかしですねぇ、私が30年間も面倒を見たクラブですから、なんとか復興させようと思っております。 あとは、私は9月で73歳になりますが、私は少年時代が懐かしくて、満州は長春に5回も行ってきまして、私の住んでいたところをたずねて、 資料を集めて写真を撮って、今、その地域の記録づくりに係わっているので、大変忙しく過ごしています。 え〜、今日は農工大のところを突っ切ってここまで来る途中で、躓いてひっくり返りまして、ハンドボールやっていた自分が何たることかと…、 今、ちょっと腰が痛くて、まいっています。ま、そんなわけで、元気にしております。あと10年ぐらいは頑張ろうと思っております。 今日は6人ぐらいの元部員が来ています。あとでゆっくり話したいと思っています。ま、どうもありがとう。」 <拍手>


(18:56 司会:櫻澤)
「ありがとうございました。これからご紹介する先生方は前回の6年前の会合には、お見えでなかった先生ばかりです。 最初は数学の岡本先生、お願いします。」



(18:56 岡本先生)
数学 岡本先生 「数学の岡本ですけれど、私の名前を覚えている方はほとんどいらっしゃらないんじゃないでしょうか。 申し訳ないんですが、実はお招きいただいて、すごくうれしいんです。もしかすると皆さんの学年を教えていないんじゃないかと…。 <教わってます!>
 こういう場に来させていただいて、大変うれしいです。 私も教員生活のなかで17年間、府中高校にいたんですが、府中高校の良さは、今、いろんな先生が語るように、本当に気分がいいところだと思うんですよね。 たまには府中に行きますが、昔の方がよかったなぁ。私が府中高校に来た頃、学校の前で、例の3億円事件があった。 あの時には学校の中にも警察がやってきて、怪しい者がいないかと探した。今は事件の面影など、まったくありません。 幸い、健康診断を受けても、どこも悪いところが見当たりません。もう少し頑張ろうと思っています。皆さん、今日はどうもありがとうございます。」 <拍手>


(18:58 司会:櫻澤)
「ありがとうございました。次に生物の加藤先生、お願いします。」



(18:58 加藤先生)
生物 加藤先生 「こんばんは。ご無沙汰しております。実は私は府中高校に23〜24年も勤務しておりました。今、そこで昔の同僚たちと話していたんですが、 あの当時の生徒たち、皆さんたちが非常に良い子たちだったし、教員もムードがいいし、すごい人たちがいました。 そんななかで勤めさせていただいて、府中高校に感謝しています。あれからずいぶん経ちますが、いまだに府中高校の夢を見ることがあります。 ふたつの校舎がわからなくなってしまって、あぁ、生物教室は北側の奥だったと思い出して…。 皆さんが1年生の時の生物は、私と西沢先生が持っていて、そんなわけで、私は半分の生徒しか教えていません。 覚えていてくれればうれしいです。今日はどうもありがとう。」 <拍手>


(19:00 司会:櫻澤)
「ありがとうございました。国語の木村先生、お願いします。」



(19:00 木村先生)
国語 木村先生 「国語科の木村です。私は皆さんが1年生の時に2クラスだけ教えていて、当時は3年生のクラス担任をしていたので、 3年生の授業を担当していました。それで皆さんが2年生になった時には、他の学校に追い出されてしまったので、 皆さんとはかなり薄い縁ということになりました。私は府中高校にわずか4年間しかいませんでしたが、あの頃は私も30代前半でありまして、 教員もみんな若い。で、国語では私は…、高木ブーなんていうのをご存知ですか…。<爆笑>
 彼とは授業時間の合間に、府中駅の近くまで自転車で散策に行きまして、あの近所をほっつき歩いておりました。 ほんとに府中高校は懐かしい学校で…、実は今月の7日の土曜日には皆さんの2期上の世代の連中が集まりまして、新宿で盛大な会合がありました。 その時にもみんな言っていたんですが、"府中は本当によかった"と。そして私は引っ越して通いきれなくなって、他の学校に移ったのですが、 その後、やっぱり府中高校は本当によかったと痛感したんです。そういうすばらしい学校だからこそ、 こんなすばらしい卒業生が生まれるんだと思っています。実は案内状のなかに入っていた写真を見ていて、梶川さんや甲田君のことは、 今でもよく覚えています。本当は担任の学年でもないので遠慮していたのですが、そんな懐かしさも手伝って、今日は勇んでやってまいりました。 話は変わりますが、先日、『博士の愛した数式』という映画を見て来ました。面白かったですよ。ぜひ、皆さんもどうぞ。 今日はどうもありがとうございました。」 <拍手>


(19:03 司会:櫻澤)
「どうもありがとうございました。それでは最後に英語の大野先生、今は長野先生ですが、お願いします。」



(19:04 大野先生)
英語 大野先生 「こんばんは。僕は府中高校に10年間居まして、いまは東邦大学で将来は看護婦になる人の看護学科で教えています。 そこの卒業生からは、"先生も早く入院しなさい"と脅されるんですが、今のところ、入院もせずに元気にしております。 まぁ、何か緊急事態に陥った場合には、やさしいナースを紹介いたします。毎年、学生たちを連れてここ十数年間ヨーロッパに遠足していたんですが 、そこで教わった格言を披露します。それは"やさしさ忘れたら、子供をやめろ。おしゃれ心を忘れたら、女をやめろ。 旅心を忘れたら、人生をやめよ"というものです。今、この言葉が気になっているので、頑張って、暇があれば旅をしています。 皆さんも、頑張ってください。以上です。」 <拍手>


(19:06 司会:櫻澤)
「先生方、どうもありがとうございました。皆さん、しばらくご歓談ください。」

<自由歓談タイム…やっと、落ち着いて食べられる時間に突入>


もっと見る


戻る    ギャラリー    次へ